原 爆 の 絵
市民が残すヒロシマの記録

2002年8月6日放映の「NHKスペシャル」 より画像をお借りしました。
4000枚を超える被災者たちが描いた絵の一部をご紹介します。


昭和20年(1945年)8月6日 広島に落とされた原子爆弾
により、広島の市街地は焼け野原と化しました。
この悲惨な出来事を長く後世に言い伝え、二度と過ちを繰り返さぬよう、被災者たちが当時の絵を書き残しています。
今までに3200枚の絵が描かれていますが、もうその絵を書いた人のほとんどが亡き人となっているそうです。
今年さらに絵を募集したところ、1000枚の絵が集まり、そのほとんどは初めて絵を描いた人だそうです。
今まで黙っていたが、70歳を過ぎ後世に何かを伝えなければ、といった人が多いようです。
NHKの放送を見なかった人のために、その画像の一部をここに紹介します。
ビデオをご希望の方はお知らせ下さい。



8月6日中国新聞社写真部員の松重美人さんが撮影した貴重な写真。
左2枚は午前11時ころの千田町3町目御幸橋西詰、軍人二人が怪我人の治療にあったっている。
当日の被災者たちの写真はこの3枚だけなので、絵で再現してもらうしかないのです。



左は校舎の下敷きになり助けを求めている生徒、助けることができなかった人が描いています。



何もコメントできません。







水を求めて川に飛び込み、助けを求めている人たちや亡くなった人が描かれています。



右は自分の母と妹らしき人を見ながらその場を離れて2度と会えなくなった人が描いた絵。

下の6枚の絵は、同じ場所の同じ頃に見かけた人が描いた絵。
みんな、子供を守ろうとする母親の姿を記憶に残して、描いたのであろう。












水を求めて小さな防火用水で亡くなった方が多いそうです。















河口へ流れてくる遺体を見つづけて、絵に残した人もいます。



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   大阪府枚方市  長井 洋

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