阪神大震災 1995.1.17
 2000.2月作成
1995年1月17日朝5時46分、阪神間を襲った阪神淡路大震災は、東京5年間の単身赴任を終えやっと地震の少ない関西へ帰ってきたと安心していた私にとってまさにびっくりぎょうてんの出来事でした。
我が家は阪神間から少し外れた大阪府吹田市にあり、最小限の被害ですみましたが、それでも部屋の中はさんさんたる有様で、2つの熱帯魚の水槽はまっさかさまにひっくり返り水浸しになりました。
一週間後には芦屋の知り合いを訪ねて、甲子園から自転車を借り雨の中を走りました。
すぐにたくさんの写真を撮りたかったのですが、被害者のことを考えるととてもその気持ちになれず、残念ながらほとんど記録がありません。
ここには仕事がらみの橋の写真ものせていません。


震災後約一ヶ月経過した2月25日に吹田市の我が家からミニバイクで神戸方面を初めて見に行きました。
その後の3月15,16日にゼネコンS社の人と電車とタクシーを乗り継いで廻った写真も混ぜて紹介します。
神戸製鋼所本社ビルは一見まともに見えましたが、よく見るとかなりの壊れようでした。これらのビルはすべて解体されました。

通用門右の守衛室は無惨に潰れていましたが、そっと入ろうとすると下から守衛が出てきて制止されました。



建物の右側です。


神戸製鋼本社の隣のビルです。

神戸製鋼の健保会館です。これも解体されました。

三宮の神戸市役所旧館です。潰れた上から3階部分までかを撤去してまだ使用しています。

三宮のサンプラザのビルです。このビルも上部のみ撤去して使っています。

火災が激しかった長田市場です。その悲惨な様子はシャッターをきるに忍びない感じでした。

時計の針は地震のあとの火災で止まったように思われます。

神戸港の岸壁です。

橋脚のフープ筋は殆どがせん断切れです。

西宮市の国道2号線沿いにある同僚の岡田さんなどが住んでいたマンションです。1階はいずみやがはいっていましたが、その上の階でみごとに破壊されています。4年後の1999年に29階建てのマンションとして再建されました。

昭和41年から4年間新婚生活をしていた西宮市甲子園一番町のアパートです。手前の一階の2Kの部屋でしたが、この様子では解体されていまはなくなっていそうです。




阪神大震災関連の報道写真集などは極力蒐集しています。何かご希望の方はお知らせ下さい。