宇治・太閤堤遺跡と伏見城
September, 2007


宇治・太閤堤の場所は右をクリックして下さい。 ⇒  


豊臣秀吉が京都の宇治川に築いた石積みの堤防「太閤堤」が見つかり、
9月8日一般公開されました。
その様子と、伏見桃山城の痕跡を求めて歩いたときの写真です。

たった1日の一般公開でしたので、たくさんの見学者が来ていました。












後方の緑は、応神天皇の子であり仁徳天皇の弟である菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)
皇子御墓です。






9月8日の一般公開日に、宇治市歴史資料館が説明用に準備していた看板の写真です。
右が宇治川、上部に宇治橋、左手が菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)皇子御墓です。




宇治市歴史資料館が説明用に準備していた看板の写真です。上空から見た全景。



宇治市歴史資料館が説明用に準備していた看板の写真です。宇治川対岸(左岸)の堤。



宇治市歴史資料館が説明用に準備していた看板の写真です。



太閤堤を見たあと、秀吉の素晴らしい建造物がことごとく家康により破壊されて、
伏見城の痕跡もほとんどないのですが、その痕跡を訪ねて歩いてみました。
明治天皇伏見桃山陵の階段です。



明治天皇伏見桃山陵の急な階段を何とか上りつめると、宇治市が眼下に広がります。
ちょうど中央あたりが、木津川、宇治川、鴨川、桂川の水を集めていた巨椋池(おぐらいけ)のあったところです。



たまたま立ち寄った京都橘高校の佐野先生に案内していただいた資料室に、
伏見城の遺跡が展示されていました。




京都橘高校資料室に展示してあった伏見城の図です。






明治35年創立の京都橘高校は、家政洋裁学校だったそうで、
その制服の変遷を展示していました。
時代を反映しており、興味深いものがあります。