明 石 海 峡 大 橋

(June 2000)


瀬戸大橋や明石海峡大橋といった長大橋の建設は、私の仕事の中でも約20年間の年月をかけた思い出深いものです  

     

2000年6月12日 淡路島で開催している ジャパンフローラ2000 と称する花と緑の国際博覧会を見に行きました。
あいにくの曇天でしたが、おかげで涼しく博覧会は見学できました。
当日は淡路島の北端の松帆の浦にある、元勤務先の保養所に泊まりましたが、その保養所の展望台から明石海峡大橋
の夜景を撮影できました。
そのときのデジカメで撮った写真を紹介します。
午後8時20分頃です。イルミネーションの色が季節と時刻で変わりますが、これは6月の標準の色です。

                                   

午後8時30分中央部が青く変わった時です。

午後9時 虹の色となった時です。斜めに撮影していますので、角度によりうまく色が出ていないところもあります。

翌朝もまだあいにくの天気でしたが、淡路島のアンカレッジ側の道の駅から朝7時頃撮りました。
いい天気のときとはまた変わった趣きだと思います。


     

建設当時の詳細は下の見学写真を見て下さい。
明石海峡大橋 見学写真


最新の明石海峡大橋の更なる画像は下記へどうぞ。
明 石 海 峡 大 橋 (No.2 )


舞子タワーから見る明石海峡大橋
芦屋の松村さん撮影の360度パノラマ写真です



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 あの阪神淡路大震災によってこの橋も大変なことになりました。

 下の図は朝日新聞(1995.3.8)の記事による、地震による橋の変形状況です。

 この年の正月明けから私の勤めている会社でこのハンガーケーブルの製造が開始されました。
 地震のあった1月17日までに別のもう1社と合わせて約60本のケーブルができていました。

 ここでケーブル製作は中断され、橋の形状測定と設計再計算のため 3ケ月工場が止まりました。

 この作業のため特別に多数の人を採用していましたが、この 3ケ月間は遊ばしたままでした。

 この損害はだれも補償してくれませんでした。

 製作済みのケーブルは、取り付け位置の変更でそのまま使えたのはまだ幸いでした。

 

 

阪神淡路大震災の震源地の野島断層です。